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残響を染める朱 01 |
2009.4.1 |
あの声を聴いたか。 地を揺らし 山を砕き 空を裂いた あの 天に通ずる咆哮を。 ひと月ほど前から降り出した雨足は、一向に衰える気配がなかった。 長雨に冷えた地を流れる雨水は勢いを増し、川に溢れ、山々を削り、近隣の小村を濁流の中に飲み込んでいった。 その様子を小高い丘上から見下ろす村民達の頭上に、黒雲が、空に重く垂れ込めていた。 「蛟竜、だ」 めしいた老婆が、両目を畏れに見開いて天を仰いで呟いた。 その、しゃがれた声に、項垂れた視線が ぽつ ぽつ と振り向く。 「コウリョウ、とは」 田畑を、家財を、親を、連れ合いを、子をなくした人々の顔に生気はない。 疲れと 悲しみと 怒りに満ちた、その瞳の先で、老婆は直も言葉を続ける。 「徒に水害を起こし、人を喰らうという蛇身の怪よ。裏山の山道に祀られた道祖神より、北へひと山越えた先に、大きな滝が落ちる谷があったろう。その滝壺の底に、棲んでいるのだと」 「婆さま、あなたはこの雨が、そのヘビの仕業だというのか。水を自在に、こうして雨を呼ぶなどと、それでは、それではまるで―――…いや。いいや、まさか」 どよめく声を、鋭い白光が遮った。 獣が唸る様な、空が落ちてくるような、おどろおどろしい雷音が轟く。 身を縮めた村民の視線の先、雷に明滅する雲の中に、巨大な蛇身の影が躍った。 * * * はっ っ はぁ は っ 暗い山中に、雨が降りしきる。 その深く茂った木々の間を、二人の少年が、倒けつ転びつ駆けていく。 身に纏った艶やかな着物は草汁や土に汚れ、その乱れた衣の下に覗く痩せた肢体の其処彼処には、真新しい打撲や切り傷が見て取れた。 草葉を掻き分け、木の根に足をとられて倒れこむたびに負った傷だ。 少年達の名を呼ばわる荒々しく苛ただしげな声が、雨音を掻き消すように、木々の間に大きく反響する。 「ひ、ああっ」 思わず背後を振り返った少年は、幾度目になるものか、ぬかるんだ泥土に足を取られて転倒した。 顔から地面へ突っ込むようにして倒れこんだものの、その先が柔らかく湿った腐葉土であったのが幸いだった。 少年は直ぐに顔を上げて、口内に入り込んだ泥土を慌てて吐き出した。 得体の知れぬ潰れた虫が、土と一緒に地面へ散らばり出る。 もがれた虫の足が蠢く様に、少年は小柄な体を大きく震わせた。 「ぐ ぅっ ぇえっ」 「ツナっ!? 綱吉っ」 先を走っていた銀髪の少年が、必死の形相で振り返った。 座り込んで嘔吐く少年の名を怒鳴るように呼びながら、己よりも一回り小さく細い体を胸に抱き起こす。 「ぁ ああ、スクアーロ……オレは、大丈夫。後から行くから、だから行って、早く。あいつ等が、そこまで追って来てる」 「後からって、何だ!? オラッ早く立てぇえっ」 「っ…………オレは、もう いいんだ」 抱き起こされた体を小さく震わせると、綱吉はスクアーロの胸に頭を預けて喘ぐように言った。吐き出す息が熱い。 スクアーロは綱吉の頬に、額に、順に掌を宛がい愕然と眼を見開いた。 「お前っ、熱が」 「……置いていって。時間稼ぎくらいなら、出来るよ。だから」 「この、馬鹿っなんで黙ってた!?」 「スク……ああ、スクアーロ好きだよ、大好き。どうか、逃げきって」 綱吉は力なく微笑みを浮かべ、そして そのまま意識を失った。 その青褪めた頬に、雨水とは違う 温かい滴が流れ伝う。 雨水を吸った着物は重たく肌に張り付き、見る間に体温を奪っていく。 「……綱吉? 綱吉っ綱吉っ!! クソッ クソがっ、ちくしょうっ! ふざけんじゃねぇぞおぉおっ!! オレが、お前を置いていく訳ねぇだろっ」 スクアーロは、綱吉の体を腕に抱きしめると、瞳を眇めて注意深く辺りを窺った。 立ち上がろうと足に力を込める。 けれど、山歩きに慣れぬ少年の細い足は、そのまま地に根付いてしまったかのように、動かない。 スクアーロは、悔しげに顔を歪めたが、不意に力尽きたように座り込んだ。 太い木の幹に背中を預け、荒い呼吸に上下する胸を押さえながら、のろのろと顔を上げる。 その面は、薄闇の中にあって病的なほど青白い。 暫らくの間、スクアーロは木の葉の重なりの、その向こうにある曇天の空を黙って見上げていた。 その視界の端に、赤々とした松明の連なりが近づいてくるのが映る。 「は、は はっ……そうだなぁ。お前と、なら」 スクアーロは、綱吉の体を庇う様に抱き込んで瞳を閉じた。 * * * 目が覚めたとき。スクアーロは大勢の人々に囲まれて、渓谷の断崖の上にいた。 轟々と落ちていく水流の白く冷たい飛沫と、遥か下でとぐろを巻く滝壺を、茫洋とした表情で見下ろして小首を傾げ、己を取り囲む大人たちの神妙な表情を ぐるり と見渡す。 あれほど強く抱き締めていた少年の姿が、どこにも見当たらない。 「……つなよし、は」 「今。先に、いったところだ。ふん、一介の旅芸人が、村の為、人々の為、龍神への贄となれたのだ、光栄に思っていることだろう」 淡々とした男の声に、スクアーロは表情を無くした。 体を巡る血流が鼓動とともに凍りつき、音という音が耳から遠ざかっていく。 スクアーロは、能面のような青白い顔を上げ、目の前で晴れやかな表情を浮かべる男を凝視した。 怒りなのか、悲しみなのか、悔しさなのか。 身の内から噴出した感情のままに、スクアーロは身を捩じらせて叫んだ。 目の前の男に掴みかかろうとして、手足に食い込む荒縄の存在を意識した直後、スクアーロは抗いを許さぬ強い力で肩を押された。 縛られた足が宙を踏み、見開いた視界に濁った空が広がる。 意識を空に囚われたまま、身体だけが落ちていく。 青く澄んだ刹那のとき。 分かたれた意識が悲鳴を上げるまもなく少年の肉体は砕け、噴出した血潮は水の渦に飲み込まれた。 ※お題 「炎」 へ続き ます。 |
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