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残響を染める朱 03 ※お題 「炎」 の続き |
2009.4.8 |
村の中央を流れる川の支流を訪ねると、それは渓谷へ落ちる滝へと続く。 その滝壺の脇にある祠の裏から続く山道を真っ直ぐに歩き、深い木々の奥へ、ずっと奥へと進むと、白い鳥居と、その先に竹林に囲まれた立派な神社が現れた。 五年前に起こった水害が治まった後に、忽然と現れた神社を、何処の誰が建立したものか、時折姿を見せる美しい宮司が何処の誰なのか、村民たちは知らない。 閉じられた村の中で、本来なら、余所者というだけでも疎外される対象となる筈だった宮司の存在を、けれど、村民達はすんなりと受け入れた。 否。 受け入れざるを得なかった と言うべきか。 その神社と宮司が現れてからというもの、水害はもとより毎年のように起こっていたあらゆる天災が、村を避けるようになったのだ。 村民達は、これを宮司が行った加持祈祷の効力であると信じていた。 * * * 神社の境内は、青竹の葉が風に涼を奏でる他は、至って静かなものだった。 しかし唐突に、その静けさは破られた。 「お前っ、また勝手に飲んだだろっ! あの甘露は夕餉の分だったのにっ」 「うっせぇっカス! オレは飲んでねぇって言ってんだろ」 「へぇ〜、嘘付け。その口についてる滴は何 あっ! ちょっと待てっ、人の話は最後まで聞くもんだよって教えたよねぇっ」 ささやかな涼風の流れに乗って、少女とも少年ともつかぬ姦しい声が境内に響き渡り、それに境内に敷いてある砂利を蹴り散らして走る慌しい足音が続く。 その一向に収まらぬ騒々しさを怪訝と思ったのか、神社の一角にある社務所の戸口から、のそり と顔を覗かせた者があった。 白髪交じりの頭髪を油でべたりと撫で付けた恰幅のよい中年の男で、彼は近隣の村を取り仕切る名主だった。 彼は糸のように細い目で辺りを見回していたが、不意に、その厚ぼったい目蓋を僅かに持ち上げた。 見開いたらしい双眸からは、濁った白目と底冷えのする小さな瞳が覗く。 その視線の先。柔陽の中に、大人の掌ほどもある大きな鳳蝶と戯れている歳若い巫女の姿があった。 白衣の上に羽織った千早の袖と、その下に透けて見える緋袴の裾を翻して、細腕を振り回している。 鳳蝶を追う巫女の指は細く、雑事を知らぬ手肌は、肌理細やかな象牙色。 吐息も白く煙る時期にもかかわらず、走り回る白い頬は淡く火照り、額には汗さえ滲ませていた。その細い喉元を つ つ、と流れていく汗が、赤い掛襟の下に覗く襦袢に吸われて消えていく。 延々と続く追いかけっこに息を切らした巫女の足取りは、右へ左へと覚束ない。 その鼻先を、気まぐれな鳳蝶の華奢な脚がくすぐる。これを好機と手を伸ばし捕らえようとするも、鳳蝶はそれを はらり とかわし再び空へ。 伸ばされた巫女の指の先で、鳳蝶はその黒い翅で風を撫でるようにして、気侭に、優雅に、楽しげに陽光の真白い輝きの中を舞い上がった。 「はぁはぁ、このっ……いい加減にしろよ、ザンザス!! ご飯抜きだぞっ!」 遂に立ち止まった巫女は、強く宙を睨み付けて憤然と声を荒げた。 「初々しい巫女でございますなぁ。しかも、なかなかの器量……ふぅ む、人嫌いな……この境内にも滅多に人を寄せ付けぬ宮司様が、あのように騒がしい者を傍に置いておられるとは、驚きましたぞ。しかし、歳若い。あの様子では気の付かない事も多ございましょう。身の回りの世話人が必要でしたなら、私に仰ってくだされば良いものを」 名主の、めくれた肉厚の唇から吐かれたのは、痰の絡まったようなしゃがれた声だった。その肉布団のように厚みのある名主の背中に、肌をピシャリと張るような、冷え冷えとした声が社務所の奥から掛かった。 「要らぬ事だ」 「そう、仰いますな。村の者達は、些かなりとも貴方様のお力になりたいと日々思っております。村の娘達の中には、宮司様を慕う者も……―――宮仕えの身といえども、あなたも血の通った生身の男でございましょう。なんでしたら」 社務所の戸口を振り返った名主は、薄暗い部屋の奥を見据えて僅かに笑った。 「粒選りの華を、ご用意致しますぞ。村の娘達にお情けを戴けたなら、村外からいらした宮司様と我々の縁も深まろうというもの」 声を潜めて囁く、脂の乗った名主の顔が、あからさまな好色に歪む。 「―――ハッ。大人しく聞いてりゃあ……。なぁんで、このオレがテメェの用意した女共にタネ蒔かなきゃならねぇんだぁ? 馬鹿馬鹿しいコトほざくにも程があるぜぇえ」 「は タネとは、ぐ 宮司様?」 今まで、慇懃な態度を崩すことのなかった宮司の言葉が粗暴な色を帯びたのに、名主は虚を突かれた顔をした。 「二年だ、あの冷たい水底から救い上げてから、二年だぜぇ? ああやって、綱吉が歩けるようになるまでに、二年もかかった。その間に、毎日毎日、キサマ等の汚ねぇ面を見る羽目にもなったが、今日までの五年間をオレがずっと耐えて来れたのは、この一帯を天災から守ってきたのは、何故だかわかるかぁあ?」 「……な、なにを」 ひやり と、戸口から溢れ出て来たのは酷薄な意志を帯びた冷気だ。 それを全身に浴びた名主のたるんだ表情が無様に引きつる。 普段は寡黙で禁欲的な若い宮司が、まるで人が変わったかのように饒舌に、口汚い言葉を紡ぎだすのを耳にして、名主は戸惑った。 「俺達がこうなる以前には望むべくも無かった、ガキが出来たからだぁ。さっき、貴様も見ただろ。まだまだ、手の掛かるヤンチャな盛りでなぁ、暫らくは安定した土地が必要だった」 余韻に聞き惚れるような若者の冷えた声が、不意に和らいだ。 「如何されたのです。いったい、なにを仰っておられるのか 私には、さっぱり」 「ああ、そう。そうだったなぁ……では、この姿 この面に見覚えはないかぁ?」 社務所の戸に美しい白磁の手が掛かり、戸が横に大きく引き開けられた。 そこに現れたのは、すらりと背の高い青年だった。 艶やかな白銀の髪は月光を紡いだように長く美しく、整った相貌のなかでは青白い瞳が凍て付いた輝きを放っている。 「けど まぁ、この姿は当時より育っているから、わからねぇのかも なぁ」 「は て?」 陽の下、宮司の神服に身を包んだ若者の立ち姿に惚けた顔をしていた名主は、困惑の表情を浮かべた。 名主の表情に何を思ったのか、若者は口端を吊り上げて笑う。 その薄い唇から、ちろり と二股に分かれた長い舌と、上顎から伸びた鋭い牙が覗いた。 「う゛お゛ぉいっ、五年前を憶えているだろぉっ。憶えているはずだああっ!! 強い雨の中を、宿を求めて村に立ち寄った旅芸人の一座をよぉおっ! 余所者に軒下を貸す代わりに舞手の子供を二人、村の神事に貸してくれと貴様が望んだろう。まさか座長も、俺達も神事ってモノのが、あんな」 「何故、それを……いやっ、なにを、なにを」 「―――……あの滝壺の中に、龍などいやしなかったぜぇ? コレは、なぁ 五年前に、テメェが滝壺へ突き落とした、スクアーロという名の、ガキの身体よ」 若者の声は、名主の耳奥で陰々ととぐろを巻いた。 「そんな馬鹿な。なにを、おかしな、ことを」 「く く くっ……もっと愉快なモンを見せてやるぜぇ」 顔色を無くした名主の強張った表情を見下ろしたスクアーロは、喉を鳴らして笑った。 銀糸の前髪を気だるげに掻き上げつつ、社務所の外へ一歩 踏み出すように動くと、神衣の裾から ず ず ず と、地面を引きずる異音が続き、名主の目前に、艶々と照り光る白い鱗を持った長い胴体が、ぞろり と這い出てきた。 その光景に、名主は引きつった悲鳴を上げる。 「滝へ突き落とされた衝撃で忘れていた記憶を取り戻し、お陰で綱吉を救えた……そこんところだけは、礼を言ってやるぜぇ―――……でもなぁ、あの日。あの日までは、あの滝壺の中に龍などいなかったんだぜぇ。貴様らが、オレを落とすまでは」 スクアーロは、胴体をしなやかに伸ばし、尾の先を鞭のようにしならせて地を打った。 「やめてくれ、やめてくれっあれは仕方が無かった! 私達を恨んでいるのか」 「恨む? いいや、恨みなどと」 青年は、うすらと笑みを浮かべて、吐息のような擦れた声で呟いた。 ―――それすら、まだ 生ぬるい。 名主は弾かれた様に青年の傍から飛び退いた。 勢いついて、地面へ敷き詰められた砂利の上へ尻餅をつく。 その名主の肥えた身体に真白い蛇身が素早く巻きつき、逃れようと暴れる身体をぐぅうっと、締め上げた。 じわじわと力を込め、ゆっくりと時間を掛けて、悶える身体の抵抗を潰していく。 砂利がぶつかる音と、骨が拉げる音、断末魔の潰れた悲鳴が笹の葉擦れの中に響いた。 その風に乗って聞こえてきた音に、足元正座させた黒髪の子供に説教をしていた巫女が、くるりと振り返った。 亜麻色の髪が陽の光を受けて、美しい茶金に輝いている。 「スクアーロ? ああ、なんてこと鱗が汚れてる! やだなぁ。もうっ、洗わなきゃ」 濃い蜜色をした大きな瞳を瞬かせた巫女は、片手に子供の手を引っ張り起こすと、緋色の行灯袴の裾をたくし上げて一緒に駆けてきた。 「綱吉……」 耳に心地よい声に、スクアーロはゆっくりと顔を上げ、眩しげに目を細めた。 駆け寄ってきた綱吉の体を腕に抱いて頬に口付け、その傍で仏頂面をしている黒髪の子供の頭をあやす様に撫でてやる。 「なぁ、雨を降らそうぜぇ。何もかもを洗い流す大雨を なぁ」 長く 長く 降り続く雨雲を呼び。 この身を汚した朱色を、この地へ洗い落としてしまおう。 それは川に溢れ。 山々を削り、村を、人をその朱の濁流に染めて呑み込んでいくことだろう。 スクアーロは大空を見上げて、爽快な笑顔を浮かべた。 そして、三人で昇っていくのだ。 あの、天へ続く道を。 * * * 今は昔。 降り止まぬ雨が川から溢れ、村の家屋を流し、田畑を飲み込むという大きな水害が起こった。 村民達は、この水害を滝壺の中に棲む蛇身の怪の仕業と判じた。 豊富な水が流れ落ちて出来た滝壺は、底が知れぬほど深く抉れ、古くから、雨雲を呼び毒気を吐いて人々を苦しめる怪の棲家である、と村に伝えられていたのだ。 この、村に伝えられている蛇身の怪を、人々は畏敬の念を込めて龍神と呼び、これを鎮めるため、祈祷と共に生贄としてヒトを捧げることとなった。 その時、苦しみ泣き濡れる人々の前に、二人の美童が現れた。 天神の御使いであるという二人は、その艶やかな舞で荒ぶる龍を酔わせ、隠し持っていた神剣でこれを降伏退治せしめ。その後、二人の美童は、この龍が二度と暴れぬようにと、揃って滝壺の中へ姿を消したという。 村民達は、水害の犠牲となった人々の魂を慰める為、天神の御使いを祀るため、滝壺の脇に石積の祠を建てた。 真暗な夜を忘れた今日。 人里から離れ忘れ去られた祠の中に、荒削りに彫られた石地蔵が二体、 今も ひっそりと、寄り添うように並んでいる。 |
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